Homma Museum of Art芸術・自然・歴史の融合/公益財団法人 本間美術館
コラム
戦国武将と大名家ゆかりの美術工芸品 3/5 ー企画展「武家の美術」よりー
学芸員:須藤 崇
企画展「武家の美術」では、戦国武将や大名家にゆかりのある絵画・書・工芸品と重要文化財『市河文書』を含めた全51点を、全10章に分けて展示しています。
このコラムでは、全5回にわたって章ごとの代表的な作品をいくつかご紹介していきます。
第5章「米沢藩主上杉家ゆかりの名品」
米沢藩主上杉家ゆかりの名品には、工芸品では上杉謙信所用と伝わる軍配団扇や大名行列で使用したと思われる鋏箱、書では前田慶次の自筆の書に、直江兼続や上杉鷹山の漢詩、絵画では本間家が鷹山から拝領した高嵩谷筆《須磨・住吉図屏風》(酒田市指定文化財)などがあります。
※一部作品の展示替えがあります。
《金紋鋏箱》 江戸時代前期~中期頃
鋏箱は、参勤交代などの移動に際して衣類などを中に入れていた道具で、かつぎ棒を通して従者に担がせていました。武家の格式を表示して定紋をつけますが、蓋の表と側面に上杉家の家紋である「竹に雀紋」と「五七の桐紋」が据えられています。鋏箱の蓋に金字で左右に家紋を記したものを「金紋鋏箱」と呼び、上杉家が幕府から使用を許されていた特権的な諸道具の一つだったとされています。
直江兼続《春日賦花七絶》 慶長3年(1598) 山形県指定文化財 個人蔵
慶長3年3月15日、豊臣秀吉は、京都伏見にある醍醐寺の五重塔の修理が完成したのを機に、有名な「醍醐の花見」を行いました。文武兼備の智将として知られた上杉景勝の宰相・直江兼続は、特に漢詩文に優れていました。兼続は、陪臣の身でありながらも醍醐の花見に招かれており、「花契遐年詩」と題するこの漢詩(七言絶句)を詠みました。桜花を愛でながら、豊臣政権のもとで子々孫々の繁栄を願ったと解釈されています。
《前田慶次利貞書状》(年未詳)11月29日
前田慶次の自筆書状と考えられています。宛名は欠いていますが、江戸より病気の見舞いとして贈ってもらった「ナマコの塩辛」と「みかん」に対する礼状です。晩年は腹痛におかされていて寝たきりであったが、薬のおかげで歩くことができるようになったとも書かれています。
第6章「熊本藩加藤家ゆかりの青磁花瓶と書」
熊本藩主加藤家ゆかりの青磁花瓶と書には、豊臣秀吉の子飼いの武将・加藤清正が朝鮮出兵の折に持ち帰ってきたという青磁の大花瓶や、清正が朝鮮での戦況やその心境が書かれた手紙などがあります。
《青磁牡丹唐草文大花瓶》 中国・元時代(14世紀) 山形県指定文化財
鎌倉時代から室町時代にかけて数多く日本に舶載されてきた、中国・元時代の浙江省龍泉窯でつくられた青磁花瓶です。口部が大きく外に反った尊形の大型瓶は、寺院の祭壇を荘厳するためのもので、鎌倉や京都の寺院を中心に伝世しています。その中でも本花瓶は67.2センチとひときわ大きく、頸部の横筋、胴の下部に刻まれた蓮弁鎬文が美しく、牡丹唐草文が華やかさを添えています。
加藤清正が文禄の役(朝鮮出兵)で朝鮮より持ち帰ったという伝承があり、子の忠広が出羽庄内丸岡に配流となった際に持参し、のちに庄内藩主酒井家を経て本間家に伝わりました。
第7章「熊本藩細川家ゆかりの茶碗と絵画」
加藤家の改易によって、あたらしく肥後熊本の藩主となったのが細川家です。初代藩主・細川忠利の父・細川三斎(忠興)は文武両道に優れた人物で、千利休の高弟で茶人としても著名です。細川家ゆかりの茶碗である《古瀬戸平茶碗》(山形県指定文化財)は侘び茶を重んじた三斎の好みが反映されており、細川家ゆかりの絵画である《沢庵和尚像》は細川家十六代当主・細川護立氏よりご寄贈いただいたものです。
啓叔宗廸《沢庵和尚像》 江戸時代中期 酒田市指定文化財
雲谷等與筆と伝えられる沢庵和尚の頂相を、大徳寺第三〇九世となった禅僧・啓叔宗廸(1670~1743)が写したものです。出羽国上山に流罪となった沢庵和尚の風貌を伝えるもので、黒染の衣をまとい、野武士のような面構えをしています。
2016.09.21
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