Homma Museum of Art芸術・自然・歴史の融合/公益財団法人 本間美術館
コラム
米沢藩上杉家家臣、莅戸善政が描いた酒田
学芸員:阿部 誠司
莅戸善政 筆 酒田往復記録 本間美術館蔵(酒田市指定文化財)
この記録は、上杉鷹山(うえすぎ ようざん)に仕え財政改革を指導した莅戸善政(のぞき よしまさ)の日記です。
莅戸義政は、米沢藩において中級武士から家老クラスに出世した初めての人でした。
寛政6年(1794)7月19日から8月9日にかけて、
農村復興の資金などを援助した本間家に直接お礼をするため、酒田を訪れています。
記録は巻子になっており、前半には最上川を下り酒田まで来る旅の出来事が記され、
末尾には丁寧な筆致で酒田の港を中心とした風景を描いています。
10日間ほど滞在した善政は、本間光丘(ほんま みつおか)の誘いで山王社など酒田の名所を巡りました。
7月28日に訪ねた、袖浦日和阜(そでのうらひよりおか)の夕景は言葉にならなかったと記しており、その情景を絵にしています。
義政の描いた日和阜には「方角石」が見られます。
これは記録して残っている方角石としては最古のものと言われています。
現在も日和山公園には方角石がありますが、これとは別物のようです。
因みに、現存する最古の方角石は輪島日和山にあり、文化元年(1804)のものです。
画面右下の「石碑」は芭蕉の句碑です。
元禄2年(1689)に芭蕉が来遊したのを記念して、酒田俳舎が天明8年(1788)に建てました。
添状の存在
この書簡は、寛政6年10月11日に莅戸善政が、
酒田三十六人衆の筆頭で廻船問屋の鐙屋惣左衛門に宛てた手紙です。※旧鐙屋蔵
内容から、《酒田往復記録》に添えられていたことが分かりました。
《酒田往復記録》は、莅戸義政が酒田を訪れた年の秋に、使いの次郎左右衛門が義政の手紙とともに鐙屋に届けられています。
手紙には、お礼と旅の記録を絵にしたので当時の酒田三十六人衆であった本間光丘や西野氏、尾関氏などに見せて欲しいといった事が書かれています。
義政が送った記録と添状は、それぞれ本間家と鐙屋に渡り、現在に遺ったものと考えられます。
本間美術館・酒田市立資料館合同企画「絵と写真でつづる酒田」展(2017.11.23~12.23)では、
長年ばらばらになっていた記録と添状を併せて展示しています。
この機会にぜひご覧ください。
2017.12.08
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