Homma Museum of Art芸術・自然・歴史の融合/公益財団法人 本間美術館
コラム
地元絵師が描いた、江戸時代の酒田まつり
学芸員:阿部 誠司
五十嵐雲嶺筆 酒田山王例祭図屏風 嘉永4年(1851) 酒田市指定文化財 ※個人蔵
酒田山王例祭は、慶長14年(1609)から続く上下日枝神社の例祭で、
現在も「酒田まつり」として親しまれています。
屏風を描いた五十嵐雲嶺は地元の絵師。
飽海郡吹浦村(現遊佐町)に生まれ、のち酒田八軒町川端五十嵐染屋の養子となりました。
幼少の頃から絵に長じ、仙台の絵師・春国が庄内に来た折これに学んだようです。
家業のかたわら絵師の道を歩み、嘉永年間に本町一丁目五十嵐仁左衛門の依頼を受けて「酒田十景」を描き、
仁左衛門がこれを木版画にして売り出し好評を博しました。
祭りの目玉となる巨大な山車は、京都の祇園祭の山鉾を模したもので、
大きいものでは20mを超える高さがありました。
近年、嘉永4年に刷られた山車の木版画が見つかりました。
そこには、本図同じ山車が描かており、
山車の題目は「舩のむくままの図」、高さが4丈余り(約12m)、神宿は小松伝七であったことが分かりました。
「舩のむくまま」とは、“船が橋の下を通るときは自然と正面を向くものだ”という中国の故事と思われ、
日本では“案ずるより産むが易し”に似た意味かもしれません。
また、通り沿いの店には、緋毛氈を掛けた縁台が置かれ、部屋には屏風がたてられています。
これも京や江戸の祭礼見物と同じ様相で、
桟敷席(さじきせき/上等な見物席)が設けられていたことが分かります。
こうした「山車」「桟敷席」「部屋の屏風」という組み合わせで描かれた祭りは各地にあり、
とくに北前船の西廻り航路に関係する土地に見られるようです。
祭りの形式も、北前船が伝えた京文化の一つなのかもしれません。
この屏風以外にも、同様の構図で描かれた祭りの図が存在していることから、
雲嶺も先の作品を参考にしながら、酒田山王例祭図屏風を描いたと思われます。
最後に、長い紐のようなものを引いて歩く女性二人は何をしているのでしょうか?
祭りの関係者なのか、芸人なのか、、、ご存知の方がいらっしゃいましたらご一報下さい。
まだまだこれかれも研究が期待される貴重な作品です。
2017.12.14
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