Homma Museum of Art芸術・自然・歴史の融合/公益財団法人 本間美術館
コラム
本間家に伝わった武家文書 ー伊佐早謙と白崎良弥の功績ー
学芸員:須藤 崇
酒田の豪商として知られる本間家。代々歴史を重んじる家であり、江戸時代には庄内藩の国替え事件として知られる「天保国替え事件」(三方領地替え)や戊辰戦争に関わる史料の編纂・収集に努めていました。
大正から昭和初期にかけては、戦前には国宝に指定されていた国指定重要文化財「市河文書」をはじめ、上杉景勝、直江兼続、前田慶次、最上義光、伊達政宗ら戦国武将たちの貴重な武家文書が数多く伝わっています。
それら文書が本間家に伝わったのには、明治時代から昭和初期に活躍した二人の郷土史家との交流があったからだと思われます。
一人は、米沢出身の伊佐早謙(1858~1930)です。伊佐早は、上杉家に関する歴史編纂に従事したほか、米沢図書館の第二代館長も務め、多くの著書を遺した人物です。米沢市上杉博物館や米沢市立図書館、米沢女子短期大学、山形大学など各施設・機関に関連する史料が収蔵されています。
もう一人は、酒田出身の白崎良弥(1875~1953)です。郷土史の調査研究のほか、本間家三代光丘を祀る光丘神社の創建、本間家の蔵書が寄贈された光丘文庫の文庫長を務めた人物です。武家文書のほか、経文の重要美術品《仏本行集経》や漆工の《梨子地松蒔絵八角食籠》なども本間家に伝えています。
二人が交流していたことを示す資料は当館にはありませんが、白崎を通じて本間家に伝わった文書の箱に伊佐早の識語があること、伊佐早が外題(タイトル)を書いているものもあることなどから、郷土史家同士のつながりがあったことが伺えます。
左:箱蓋に書かれた伊佐早謙の識語 右:伊佐早が書いた巻物の外題
その二人が本間家に伝えた代表的な武家文書として、上記の「市河文書」と酒田市指定文化財「奥羽古文書」、重要美術品「穴沢文書」があります。
・「市河文書」
平安時代末から戦国時代末に至る約400年間にわたって、奥信濃(現在の長野県下高井郡北部)を支配していた豪族市河家に伝えられた信濃国(現在の長野県)を代表する武家文書(16巻/146通)です。戦前は149通ありましたが、表具し直される過程で146通となっています。市河家は、上杉家とともに米沢に移り米沢藩士として明治維新を迎え、明治23年(1890)に陸軍屯田兵として北海道に移住しています。その際に、代々受け継いできた「市河文書」を伊佐早が譲り受け、昭和初期頃に本間家に伝わりました。
市河文書《武田信玄定書》
・「奥羽古文書」
庄内の戦国武将・武藤氏(大宝寺氏)をはじめ、伊達政宗や上杉景勝、直江兼続ら武将たちの書状が収められた武家文書(1巻/19通)です。天文~天正年間の庄内の動向を知る上でも欠かせない史料となっています。附属として「武藤氏系譜」が添えられており、もとは旧庄内藩士・栗田廣哉という人物が所蔵していましたが、伊佐早謙が譲り受け、その後、本間家に伝わりました。
・「穴沢文書」
越後国魚沼郡広瀬郷(現在の新潟県南魚沼市)を基盤としていた土豪穴沢氏に伝わった南北朝時代から室町時代までの武家文書(1巻/24通)です。もとは旧米沢藩士・志賀慎太郎という人物が所蔵していましたが、昭和9年(1934)12月、白崎良弥を通じて本間家に伝わりました。
現在開催中の展覧会「本間家創業330年記念 本間家が守り伝えた品々 第二部本間家ゆかりの名品」では、上記の「市河文書」「穴沢文書」「奥羽古文書」をご紹介しています。この機会に、伊佐早と白崎から本間家へと受け継がれた貴重な武家文書をお楽しみいただければ幸いです。
2019.11.28
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