公益財団法人 本間美術館は、「公益」の精神を今に伝え、近世の古美術から現代美術、別荘「清遠閣」の緻密な木造建築の美、「鶴舞園」、さらには北前船の残した湊町酒田の歴史まで楽しめる芸術・自然・歴史の融合した別天地。

公益財団法人 本間美術館

Homma Museum of Art芸術・自然・歴史の融合/公益財団法人 本間美術館

コラム

公益財団法人 本間美術館 [山形県 酒田市] > コラム > 2020年 > 4月

鶴舞園と清遠閣を描いた作品

学芸員:阿部 誠司

本間美術館は4月7日から、新型コロナウイルス感染拡大防止のため臨時休館をしておりますが、
このコラムでは、4月12日からの展覧会『国指定名勝庭園「鶴舞園」と本間美術館名品選』で皆さんのご覧いただくはずだった展示内容のご紹介します。

  

 

 

【鶴舞園と清遠閣を描いた作品】

 

№1.本間氏別荘庭園写景古図 中西利徳賛  作者不詳  江戸時代後期(19世紀)

 ※酒田市立光丘文庫蔵

この図は、本間家のもとで事務職をしていた中西利吉という人物が所有していたものです。
後に孫の利徳によって表装され光丘神社へ奉献し、光丘文庫の所蔵となり今日に伝わっています。

右下の利徳の賛では、本間氏別荘庭園が築造されて間もない頃を描いたのではないかと推測していますが、現在の庭園の様子とはずいぶん違って見えます。築造当時はこのような景観だったのか、または築造前の構想図なのか定かではありませんが、大変興味深い資料です。

 

 

 

№2.松鶴画賛 酒井忠宝筆  明治39年(1906)

     

酒井忠宝(さかい ただみち/1856~1921)は庄内藩の10代目藩主。最後の藩主となり、版籍奉還後は知事を務めました。明治6年にドイツへ渡り法律学を修め、帰国後は隠居し、バラの栽培や絵を描いて余生を送っています。

この絵は背景に鳥海山が描かれており、「鶴舞園」の名の由来となった、中島の松に鶴が舞い降りた様子を表しています。松の枝ぶりも実際の中島の松とよく似ていますね。江戸時代には全国的に鶴を見ることができていたらしいですよ。

現在では松の左に鳥海山を望むことはできず、写真のように右に山頂付近が少し見えています。

 

 

№3.清遠閣茶庭 鈴木信太郎筆  制作年不詳

    

鈴木信太郎(1895~1989)は、白馬会に入門し黒田清輝に学び、文展で入選後は石井柏亭に師事しました。
二科会で樗牛賞を受賞し、さまざまな挿絵を手がけます。戦後は二科会の再建に努力し、のち武蔵野美術大学、多摩美術大学教授を勤めました。

本間美術館では、昭和23年に「鈴木信太郎 水彩画展」を開催しています。
この絵は展覧会で来館した際に描かれたのかもしれませんね。

 

 

№4.庭園 大野廣子  平成8年(1996)

    

大野廣子(1956~ )は、ニューヨークを拠点に国際的に活躍する日本画家です。
世界各地の大自然を取材し描いた生命感溢れる作品は高く評価されています。
本間美術館では個展を開催しており、鶴舞園や飛島など、酒田を取材した作品も描きました。

この絵は六曲一隻の屏風になっており、大画面に樹々のもつ生命感と、時間や季節を超越した庭園の美が表わされています。
かなり長期にわたり庭園でスケッチや着彩もされており、その苦労話も伝わっていますよ。

 

 

№5.清遠閣 伊藤髟耳  制作年不詳

    

伊藤髟耳(1938~ )は、清冽な画風で古寺の仏像や庭園の自然を鮮やかに描き、清々しい日本の美を表現する、院展を代表する画家です。伝統的な日本画に新境地を拓く意欲的な作品が注目を集めています。

本間美術館では、個展や氏が主宰する「はっとび」のグループ展などを開催。
鶴舞園を気に入って下さり、何度も写生にお越し頂いています。

「ゆらぎ」と氏が仰る独自の世界感により、建物の内と外が一体となったような、柔らかな光と色彩で溢れていますね。

 

 

近年は写生に訪れる作家さんも少なくなりましたが、
また鶴舞園をモデルに作品をつくって頂きたい……そう思っています。

 

 

 

2020.04.21