Homma Museum of Art芸術・自然・歴史の融合/公益財団法人 本間美術館
コラム
唐物・高麗物・和物
学芸員:須藤 崇
本間美術館を代表するコレクションの一つに、酒田の豪商・本間家に伝来した茶道具があります。その内訳は、庄内藩酒井家からの拝領または伝来、米沢藩上杉家からの拝領、本間家の菩提寺である浄福寺の住職・菊池秀言からの贈答、酒田の郷土史家・白崎良弥を介して集まったもの、本間家が客人をもてなすために用意したものなどに大別されます。コレクションのなかには、中国産の「唐物」(からもの)、朝鮮半島産の「高麗物」(こうらいもの)、日本産の「和物」(わもの)の貴重な作品がそろっており、指定物件(重美・県文・市文)も多く含まれています。
今回のコラムでは、当館所蔵の茶道具コレクションを通して唐物・高麗物・和物についてご紹介します。
●唐物-中国産の舶来品-
唐物は、中国で焼かれた舶来品の総称です。鎌倉時代に、禅宗文化とともに抹茶の喫茶法が中国からもたらされると、禅宗寺院や武家の間で広まり、室町時代には、権力者たちの間で唐物尊重の美意識が確立し、室内に唐物を飾り立て喫茶を楽しむようになりました。唐物は、天目茶碗や茶入に見られるように、その均整のとれた姿と、高い技術による薄くて軽いつくりが特徴です。
【天目茶碗】
中国の福建省南平市にあった建窯や、江西省吉安市にあった吉州窯では多くの黒釉のかかった碗が焼かれていました。浙江省北部の天目山の寺院で使用されていた黒釉の碗を日本の留学僧たちが持ち帰ったため、日本ではそれらを「天目茶碗」と呼ぶようになったといわれています。
《禾手天目茶碗》 南宋時代(13世紀)
中国の福建省の建窯で焼かれた天目茶碗。すり鉢形で、口縁がわずかにすぼまり、高台が比較的小さく、典型的な建盞(建窯で焼かれた天目茶碗)形の茶碗の特徴がよく表れています。付属には、天目茶碗を乗せるための天目台があります。黒釉に含まれる鉄の結晶が釉の流下とともに筋状になって見えることから、日本では稲の穂先に出る禾に見立てて※「禾目」(のぎめ)と呼ばれ、中国では銀色に見える兎の細い毛に見立てて「兎毫盞」(とごうさん)と呼ばれています。※当館の名称「禾手」は箱書きに由来します。
【唐物茶入】
室町時代の茶の湯で特に賞玩されたのが唐物茶入です。産地では香辛料などを入れる壺として使用されていましたが、日本では茶人たちが抹茶を入れる茶入に見立てたといわれています。当館には、唐物茶入が6点(大海 2・茄子 1・丸壺 1・文琳 1・瓢箪 1)収蔵されています。
《唐物大海茶入 銘 大内海》 南宋時代(13世紀) 山形県指定文化財
口縁が広くどっしりとしており、大海に入れるほど抹茶を多く入れられたことから「大海茶入」の名が付いたとされています。この茶入は、明治20年代に、旧庄内藩主酒井忠篤から本間家六代光美が拝領したもので、箱には酒井家の蔵番「三拾二番」が記されています。
《青貝布袋香合》 中国・明時代(16世紀)
全体に黒漆を塗り、蓋には螺鈿で穏やかな布袋の姿を表した香合。側面には亀甲花菱の連続文が配され、華やかで繊細な美しさが添えられています。この香合は、はじめ千利休が所持し、安楽庵策伝(誓願寺竹林院)から堀式部(直之)へと伝わり、その後庄内藩初代藩主・酒井忠勝が入手し、酒井家から本間家に伝わりました。箱には酒井家の蔵番「イ印 四拾二□」が記されています。
●高麗物-朝鮮半島産の舶来品―
高麗物は、朝鮮半島で焼かれた舶来品の総称です。室町時代後期には日本独自の精神性を重んじた侘びの茶風が広まると、唐物に替わって朝鮮半島で焼かれていた日常生活で使用する器が茶人たちによって見出され、和物とともに茶の湯で盛んに用いられるようになりました。高麗物は、素朴で飾り気のない姿が特徴です。
《高麗青磁象嵌平茶碗》 高麗時代(13~14世紀) 山形県指定文化財
日本に伝わった茶碗の中でも名品とされる、高麗時代を代表する青磁茶碗。加賀藩前田家から庄内藩酒井家へと伝わり、その後本間家へと受け継がれました。致道博物館所蔵の『数寄屋帳』には「御茶碗三島狂言袴古雲鶴而名物也、松平加賀守殿ゟ賜之」と記されており、前田家と酒井家の関係が一番深まったと考えられる、加賀藩五代藩主前田綱紀(松平加賀守)の養女・蝶姫と庄内藩五代藩主酒井忠寄が婚姻した時期に贈られたものかもしれません。箱には酒井家の蔵番「ろノ印 七拾二番」が記されています。
割高台茶碗 朝鮮時代(16世紀) 山形県指定文化財
高台を四方に断ち割った堅手(磁器質)風の茶碗。釜山付近の窯で焼かれた慶尚道の産と伝わったもので、茶の湯では戦国武将たちに大変好まれました。代金請取証文により、正保3年(1647)に庄内藩初代藩主・酒井忠勝が3,550両で入手したものであることが明らかになっています。
大井戸茶碗 銘 酒井 朝鮮時代(16世紀) 重要美術品
侘び茶で最も賞玩された茶碗。大振りで堂々とした姿で、竹節のような高台、枇杷色の釉などの特徴があります。庄内藩酒井家が所持していたことから「酒井」の銘を持っています。
●和物―国産の茶陶―
和物は、日本で焼かれた茶陶(茶の湯のやきもの)の総称です。桃山時代に千利休(1522~91)によって侘び茶が大成されると、高麗物に続いて和物が用いられるようになり、江戸時代には日本各地で次々とつくられるようになりました。和物は、日本の茶の湯のために焼かれたもののため、利休の創意を受けて長次郎が誕生させた楽茶碗のように侘び茶の精神が色濃く反映されています。また、志野や織部のように歪みや抽象的な文様のある姿、京焼のように色彩豊かな姿など、時代や地域によって違いがあるのが特徴です。
古瀬戸平茶碗 室町時代(15世紀) 山形県指定文化財
瀬戸で焼かれた素朴で力強さのある平茶碗。自然な歪みが古調で、高台の糸切、黄草色の釉色など古瀬戸の平茶碗の特色がよく表れています。千利休の高弟・細川三斎(忠興)が所持したと伝わったもので、本間家四代光道が求めました。
瀬戸黒茶碗 銘 寒山寺 桃山時代(16世紀) 酒田市指定文化財
美濃の大萱窯で焼かれた瀬戸黒茶碗。筒形で力強いまっすぐな張りを持ち、艶のある漆黒色の黒釉がかかり、底は水平で、高台は極めて低く、瀬戸黒の特徴がよく表れています。箱には「寒山寺」とありますが、銘の由来や伝来については不明です。
黒楽茶碗 銘 さび介 桃山時代(16世紀) 酒田市指定文化財
千利休好みの侘び茶を象徴する茶碗。楽家初代長次郎(1516~92)の作で、鉄錆色の独特の渋さから「さび介」の銘を持ちます。大正8年(1919)に本間家の菩提寺である浄福寺の住職・菊池秀言より本間家に贈られました。住職と本間家当主は茶の湯においても親交が深かったようです。
今回紹介しました茶道具は、現在開催中の企画展「茶の湯の美 ―唐物・高麗物・和物の名品―」にて公開しています。長い歴史の中で大切に受け継がれてきた「唐物」「高麗物」「和物」の美をぜひご覧ください。
2020.06.18
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