Homma Museum of Art芸術・自然・歴史の融合/公益財団法人 本間美術館
コラム
郷土の画人・市原円潭の羅漢図
学芸員:阿部 誠司
開催中の「郷土の画人展」から、市原円潭が描いた《五台五百羅漢図》をご紹介します。
※郷土の画人展は2021年2月15日まで
◆市原円潭(1817~1901)
市原円潭は、酒田天正寺(現在の酒田市相生町または一番町)の太物商の家に生まれました。
太物とは、絹以外の綿や麻の織物を言います。
天保2年、14才で江戸に上り、江戸幕府の表絵師・深川水場狩野家の狩野了承賢信に師事します。
狩野了承は酒田出身の絵師です。
そして、天保11年には奥絵師・鍛冶橋狩野家の狩野探淵に入門。
京都や奈良、長崎などの社寺を巡歴して、多くの古仏画を模写しました。
一方で、復古大和絵の冷泉為恭や南画家の田能村直入、村山半牧、藤本鉄石など、幅広い交友関係を持ち、
見聞を広めることで教養と技術を身に着けています。
文久3年、46才の時に帰郷。鶴岡の淀川寺の住持となります。
帰郷後も作画を続け、多くの作品を遺しました。
明治15年の第一回、明治17年の第二回 内国絵画共進会には、狩野派として作品を出品しています。
明治34年に逝去、享年84歳。淀川寺に葬られました。
◆五台五百羅漢図 明治24年 (本間家寄贈)
この羅漢図は長さ5mを超える巻物になっており、円潭80才の大作です。
五台とは中国の霊山・五台山のことで、仏教における聖地のような場所です。
そして、羅漢とはお釈迦様の弟子で、厳しい修行を積み煩悩を払った聖人です。
五百羅漢は、お釈迦様が亡くなった時に集まった500人の弟子だと言われています。
日本で禅宗は広まった鎌倉時代から羅漢信仰が盛んになり、
中国から舶載された図を手本に、多くの羅漢図が描かれてきました。
光を発したり、仏様が現れるなど、霊験あらたかな場面が描かれています。
こちらは岩陰に集まってヒソヒソ話? 羅漢たちの表情や動きも豊かに表現しています。
細部まで丁寧に書き込まれ、羅漢たちの話し声や水の音まで聞こえてくるようです。
羅漢以外にも異形の者たちが描かれていますが、悪者ではありません。仏法を守る神様たちです。
他にも、龍や鳳凰、鶴、ヤギ?、獅子?など、霊獣が描かれていますので、探して見ても面白いですよ。
円潭は、安政元年から一年余りをかけて、京都・大徳寺の五百羅漢図100幅を模写しています。
この模写によって培われた経験から、羅漢図は円潭の得意な画題、代表作と言えるようになりました。
《五台五百羅漢図》は円潭80才という最晩年の作でもあり、
これまでの模写や見聞によって得た力を遺憾なく発揮した集大成と言えるでしょう。
2021.01.24
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