Homma Museum of Art芸術・自然・歴史の融合/公益財団法人 本間美術館
コレクション主な収蔵品
本間美術館のコレクションは、本間家から寄贈戴いた日本・東洋古美術が柱となっています。それに加え、開館以来、美術品の収集と多くの篤志家から寄贈があり、古美術から現代美術までの幅広いジャンルにわたる、およそ3,000件の収蔵品となりました。地域の文化遺産として展示公開に努めるとともに、大切に保存し次世代へ継承して参ります。
※画像をクリックで詳細をご覧頂けます。
奈良時代 《重要美術品》
仏本行集経(ぶっぽんぎょうじゅっきょう)
仏本行集経とは、釈迦の系譜・伝記にまつわる集大成で、本書は全六十巻のうちの一部を成すものです。『光明皇后御願経』、または発願日が天平十二年五月一日であることから『五月一日経』と称されます。光明皇后が父・藤原不比等、母・橘三千代の菩提追善、聖武天皇の福寿、臣下の忠節を願い、中央写経所組織の勢力をあげて約十五年を費やし七千巻余りを書写させました。書風には初期の唐風が伺われ、天平写経の中でも、最も優れたものと言われています。
酒田市指定文化財 奈良時代
百万塔 附自心印陀羅尼
古代鉾
鉾は、奈良時代の正倉院の御物として残る以外は少なく、古墳からの出土品のものが大半をしめています。茎を柄に差す後世の槍とは異なり、鉾は柄との接合部である茎が袋状となっているのが特徴です。
実用の武器としてだけではなく、祭祀用としても用いられました。
- 平安時代〈重要美術品〉
紺帋金銀字金剛頂説文殊五字勝相
(こんしきんぎんじこんごうちょうせつもんじゅごじしょうそう) - 平安時代〈山形県指定文化財〉
絹地切 小野道風筆
(きぬじぎれ おののとうふう) - 平安時代〜室町時代末期〈重要文化財〉
市河文書
(いちかわもんじょ)全十六巻
平安時代 《重要美術品》
紺帋金銀字金剛頂説文殊五字勝相
(こんしきんぎんじこんごうちょうせつもんじゅごじしょうそう)
藍染めの紺紙に一行おきに金字と銀字で、密教の重要な経典『金剛頂経』から文殊菩薩について書写されています。見返し部分には仏の世界を華麗に表現されており、平安時代の絵画資料としても貴重なものです。
山形県指定文化財 絹地切 小野道風筆
平安中期の能書家、三蹟の一人で王義之の再生と言われた小野道風が、貴族に愛読された『白氏文集(はくしもんじゅう)』の巻第4・新楽府の「澗底松」(かんていのまつ)を揮毫した断簡です。やわらかく曲線的な表現で優美な「和様の書」の風格を示しています。
津山藩主松平家に伝来し、本間家を経て本間美術館の収蔵となりました。
平安時代 《重要美術品》
市河文書(いちかわもんじょ) 全十六巻
藍染めの紺紙に一行おきに金字と銀字で、密教の重要な経典『金剛頂経』から文殊菩薩について書写されています。見返し部分には仏の世界を華麗に表現されており、平安時代の絵画資料としても貴重なものです。
- 室町時代〈酒田市指定文化財〉
太刀 銘月山作(たち めいがっさんさく) - 室町時代〈重要美術品〉
三十番神像(さんじゅうばんしんぞう) - 鎌倉〜室町時代〈山形県指定文化財〉
善導大師像伝比丘曇省賛伝李龍眠筆
(ぜんどうだいしぞう でん びくどんしょうさんでん りりゅうみん)
〈酒田市指定文化財〉 太刀 銘月山作
月山は、鎌倉時代から室町時代にかけて出羽国月山の麓を拠点として活躍した刀工の一派です。月山の特徴は、刀身全体に波状の模様「綾杉肌(あやすぎはだ)」が表われていることで、「月山肌」ともいわれています。
この太刀は月山の典型的な作風を示したもので、表に「月山作」の銘があり、室町時代初期の作と考えられています。アメリカの愛刀家、ウォルター・コンプトン氏より当館に寄贈されました。
〈重要美術品〉
三十番神像
三十番神とは、1ヶ月30日間、毎日交代して国や法華経(ほけきょう)を守護する三十の神々のことです。
法華経や潅頂経(かんじょうきょう)の説にもとづいて最澄(さいちょう)が比叡山に祀ったのが始まりとされ、平安時代末期に一般に広がりました。鎌倉時代には天皇の守護神となり、仏教系・神道系など各種の三十番神像が描かれています。のちに日蓮宗において熱心に信仰されました。
〈山形県指定文化財〉
善導大師像伝比丘曇省賛伝李龍眠筆
善導(613~681)は、日本の法然(ほうねん)や親鸞(しんらん)に大きな影響を与えた、中国・唐時代の浄土教の大成者です。
本図は、善導が合掌し念仏をすると、その念仏が阿弥陀の姿になって飛び出して人々を救ったという説話に基づいて描かれたものです。京都・智恩寺の善導像にも同じ賛があり、原本が広く世に流布していたことが伺えます。
本幅は、復古大和絵師の冷泉為恭(れいぜいためちか)の愛蔵品で、仏道の師である願海に形見として贈ったものです。
- 室町時代〈重要美術品〉
『穴沢文書』 上杉顕定書状
(あなざわもんじょうえすぎあきさだしょじょう) - 鎌倉時代〈重要文化財〉
藤原定家(ふじわらのていか)筆
消息(しょうそく)(十月八日) - 鎌倉時代〈重要文化財〉
伝民部卿局(みんぶきょうのつぼね)写本
伊勢物語(いせものがたり) 塗籠本(ぬりごめぼん)
〈重要美術品〉
『穴沢文書』 上杉顕定書状
重要美術品 鎌倉時代
藤原定家筆 消息
本書は、料紙を二枚継いで書かれていることから「二枚継文」とも言われます。日付は「十月八日」、宛名はないが「定家」の著名があります。建暦元年(1211)十月四日、大臣任命の儀式に出席した息子・為家が装束規定を守らなかったため、後鳥羽上皇からの下問があり、その一件について定家が返書しています。定家は、為家の落度を認めながらも、まだ十四歳の子供であり、儀式の日程の急な変更により応じきれなかった次第を記し、不服を言いたいのは自分のほうであると心情を述べています。
重要美術品 鎌倉時代
伝民部卿局 写本 伊勢物語
『伊勢物語』は、平安時代前期に書かれた歌物語で、作者や完成時期は不明です。主人公の男の元服から亡くなるまでを表しており、在原業平の歌が多く登場することから、業平が主人公とも言われます。
本帖文中には墨書校合と、後筆の朱書で段数・出典歌集巻次の書込みがあり、末尾の冷泉為清の識語では、筆者は藤原定家の息女、民部卿局と鑑しています。奥書に「此本…朱雀院のぬりごめにをさまれり…」と記されていることから『塗籠本』と名付けられました。平安京の御所「朱雀院」における、書物などを保管する「塗籠」にあったこと分かります。
- 鎌倉時代〈山形県指定文化財〉
御自筆御歌集断簡 広沢切 伏見天皇筆
(おんじひつおんかしゅうだんかん ひろさわぎれふしみてんのう) - 南北朝時代吉田兼好(よしだけんこう)筆 消息(しょうそく)
- 南北朝時代〈重要美術品〉
宸翰書状 後光厳天皇筆
(しんかんしょじょう ごこうごんてんのう)
〈山形県指定文化財〉
御自筆御歌集断簡 広沢切 伏見天皇筆
南北朝時代
吉田兼好筆 消息
この手紙は、南北朝時代の不穏な動静を背景にもつ密書めいた一面があります。宛名の「春日殿」から、春日左大将を称した北畠顕信に宛てたものと思われ、顕信という南朝の重鎮に内通する兼好の側面を物語る一通といえます。
〈重要美術品〉
宸翰書状 後光厳天皇筆
後光厳天皇(1338~1374)は南北朝時代の北朝第4代天皇。南北朝期は、書流史上において、天皇や皇族を中心に優れた人物を輩出した時期でもあり、その中でも後光厳天皇は能書家として傑出した1人に数えられています。
本書は、急ぎ相談を要することがあるため、明日中に参上するようにある人に催促したものです。後光厳天皇の気品の高さ、力量の豊かさが遺憾なく発揮されています。
- 南北朝時代釈教三十六歌仙図断簡 大僧正行尊
(しゃくきょうさんじゅうろっかせんずだんかんだいそうじょうぎょうそん) - 中国・南宋時代(13世紀)禾手天目茶碗 附 堆朱屈輪文天目台(のぎててんもくちゃわん
つけたりついしゅぐりもんてんもくだい) - 中国・南宋時代(13世紀)〈山形県指定文化財〉
尺牘 与能兄道契禅師宛 無準師範筆
(せきとくよのうけいどうけいぜんじあてぶじゅんしはん)
釈教三十六歌仙図断簡 大僧正行尊
釈教三十六歌仙図は、貞和3年(1348)4月、勧修寺の僧・栄海が仏教上の歌仙36人を選んでその肖像に和歌を付したものです。現存する遺品は極めて少なく、達磨、聖徳太子、弘法大師、大僧正行基などの歌仙図が巻子や断簡として遺されているだけとなっています。本図は、その三十六歌仙図の断簡の内、平安時代後期の天台宗の僧で歌人の大僧正行尊(1057~1135)が描かれたものです。
大僧正行尊
草の庵何露けしとおもひけん
もらぬ岩屋も袖はぬれけり
禾手天目茶碗 附 堆朱屈輪文天目台
中国・福建省(ふっけんしょう)の建窯(けんよう)で焼かれた天目茶碗。黒釉に含まれる鉄の結晶が釉の流下とともに筋状になって見えることから、この筋を日本では稲や麦の穂先の禾に見立てて、禾目と呼んでいます。付属の天目台は、天目茶碗を乗せる台で、朱漆を何層にも塗り重ね屈輪(倶利)文様を彫り込んでいます。
〈山形県指定文化財〉
尺牘 与能兄道契禅師宛 無準師範筆
無準師範(1177~1249)は中国・南宋時代の禅僧。5代皇帝・理宗より「仏鑑禅師」の号が贈られました。日本からもその声名を慕って多くの求法僧が参学しています。
この墨跡は無準師範が同門の禅僧・道契禅師にあてた尺牘(手紙)で、無準の遺墨は茶会の墨跡の雄としても珍重されたものです。酒田の浄福寺より本間家へ伝来しました。
- 中国・元時代(14世紀)〈山形県指定文化財〉
青磁牡丹唐草文大花瓶
(せいじぼたんからくさもんだいかびん) - 朝鮮・高麗時代(14世紀)〈山形県指定文化財〉
高麗青磁象嵌平茶碗
(こうらいせいじぞうがんひらちゃわん) - 中国・明時代前期(15世紀)李白観瀑図・周茂叔愛蓮図 戴進筆
(りはくかんばくず・しゅうもしゅくあいれんずたいしん)
山形県指定文化財 中国・元時代(14世紀)
青磁牡丹唐草文大花瓶
本花瓶は67.2センチとひときわ大きな、堂々たる一品です。また、頸部の横筋、胴の下部に刻まれた蓮弁鎬文が美しく、片切彫りによる牡丹唐草文が華やかさを添えています。加藤清正が文禄の役で朝鮮より持ち返ったという伝承があり、三男・忠広が出羽庄内丸岡に配流となった際持参し、後に庄内藩主・酒井家を経て本間家に入りました。長い時を経て一対での伝世は貴重です。
山形県指定文化財 朝鮮・高麗時代(14世紀)
高麗青磁象嵌平茶碗
翡色といわれる青磁釉がやや灰色を帯び、象嵌との調和が美しく、釉面に見られる貫入に侘びた風情を感じます。象嵌は四方に雲鶴と草花入丸文を表し、その下には雷文を二重に回し、さらに茶溜まりから五方向に大きく草花が表されています。酒井家より本間家に伝来し、同家では貴人の接待に用い珍重した茶碗です。
李白観瀑図・周茂叔愛蓮図 戴進筆
戴進(1388~1462)は、中国・明時代の画家で、浙派(せっぱ)(浙江省周辺を拠点とした職業画家による画派)の始祖です。
- 中国・元〜明時代(14〜15世紀)唐物丸壺茶入
(からものまるつぼちゃいれ) - 朝鮮・李朝時代(16世紀)〈重要美術品〉
大井戸茶碗(おおいどちゃわん)
銘酒井(めいさかい) - 朝鮮・李朝時代(16世紀)〈山形県指定文化財〉
割高台茶碗(わりこうだいちゃわん)
唐物丸壺茶入
唐物茶入は鎌倉時代から舶来され、室町時代の茶の湯では特に賞美されました。産地では薬や油を入れる壺として使用されていましたが、日本の茶人たちが茶入に見立てて使用したといわれています。
この茶入は、寛永3年(1626)に庄内藩初代藩主・酒井忠勝が、いつつや忠右衛門より大判330枚にて入手したものです。その後、酒井家より本間家へ伝来しました。
重要美術品 朝鮮・李朝時代(16世紀)
大井戸茶碗 銘酒井
この井戸茶碗は、力強い大きさから「大井戸」と呼ばれ、碗形で竹の節のような高台を有し、枇杷色の釉が薄くかかっています。その釉は、高台ぎわから内にかけて「梅華皮」状になっており、茶人たちはその特色を大井戸の見所としてきました。庄内藩主酒井家が所持していたことから「酒井」の銘を持っており、酒井家から本間家に伝わっています。
山形県指定文化財 朝鮮・李朝時代(16世紀)
割高台茶碗
やや大振りの堅手(磁器質)風の茶碗で、高台を四方に断ち割り、胴は楕円形に歪ませ、腰には箆が施されています。日本からの注文によって朝鮮で焼かれたもので、作意が強く、茶の湯では武将たちによく好まれました。初代庄内藩主・酒井忠勝が入手し、のちに本間家が拝領しました。
- 桃山時代〈酒田市指定文化財〉
長次郎(ちょうじろう)作
黒楽茶碗(くろらくちゃわん)
銘(めい)さび介(すけ) - 桃山時代〈重要文化財〉
蒔絵二重短刀箱 内箱 桐繋/外箱 歌所菱
(まきえにじゅうたんとうばこうちばこきりつなぎそとばこ うたどころひし) - 桃山時代〈酒田市指定文化財〉
眠斎賦春屋宗園筆
(みんさいふ しゅんおくそうえん)
酒田市指定文化財 桃山時代
長次郎作 黒楽茶碗 銘 さび介
穏雅でしっとりと気品をたたえるこの茶碗は、鉄錆色の独特の渋さから「さび介」と名づけられました。口はわずかに内に抱え込まれ、高台は内側の中心部が高く削り残された兜巾高台になっています。千利休の好みで生まれた無地の黒楽は、侘び茶を象徴する茶碗です。長次郎は、千利休の指導で京都・聚楽第の中で作陶を始め、楽焼(聚楽焼)の初代となりました。
〈重要文化財〉
蒔絵二重短刀箱 内箱 桐繋/外箱 歌所菱
〈酒田市指定文化財〉
眠斎賦春屋宗園筆
春屋宗園(1529~1611)は、桃山時代の臨済宗の僧で、大徳寺第111世。後陽成天皇より「大宝円鑑国師」の号を贈られ、千利休、古田織部、千宗旦などの参禅の師としても知られています。
この「眠斎」は、覚甫老人の書斎の扁額に与えた銘記で、その意味を問われたので、四言四句の短偈を書いて答えたものです。偈とは仏語で、仏の功徳をたたえた詩のことです。
庄内藩主酒井家より本間家へ伝来しました。
- 桃山〜江戸時代〈山形県指定文化財〉
葡萄栗鼠蒔絵刀筒
(ぶどうりすまきえかたなづつ) - 江戸時代前期〈山形県指定文化財〉
玉志亭唱和懐紙(ぎょくしていしょうわかいし)
松尾芭蕉(まつおばしょう)筆 - 江戸時代前期〈重要美術品〉
宸翰 御和歌懐紙「うき身には」 後水尾天皇筆
(しんかん おんわかかいしごみずのおてんのう)
〈山形県指定文化財〉 葡萄栗鼠蒔絵刀筒
刀筒は、大名などが外出時に刀の運搬に用いたものです。この太刀形に湾曲した刀筒は、鐔の部分が膨らんでおり、印籠蓋造に仕立てた口には掛金具と蝶番が取り付けられています。総体を黒漆塗りとし、葡萄と栗鼠を曲面全面に巧みに描き、絵梨子地の手法による変化に富んだ表現を取り入れています。
近世初期の洗練された作風を示す古作の刀筒として貴重な作品です。
山形県指定文化財 江戸時代前期
松尾芭蕉筆 玉志亭唱和懐紙
酒田滞在の元禄二年(1689)六月、芭蕉らは三山巡礼や象潟への行脚も済み、近江屋三郎兵衛(俳号・玉志)宅に招かれました。この懐紙はその折に、芭蕉と曾良、町医者の伊東不玉と亭主の玉志の四人で、瓜のもてなしの遊びに興じた即興の発句を残したものです。芭蕉が「奥の細道」の旅の先々で書き残したものは数多くありますが、この懐紙は酒田来訪時より当地に残った唯一の遺墨です。
〈重要美術品〉
宸翰 御和歌懐紙「うき身には」 後水尾天皇筆
後水尾天皇(1596~1680)は、後陽成天皇の第3皇子で、第108代の天皇。徳川幕府の草創期に在位しましたが、紫衣事件など幕府の朝廷への干渉や圧迫があった時代でした。歴代天皇の中でも長寿であり、85歳の天寿を全うするまでに、多くの文化人と交流し、指導的な役割を果たしています。
後水尾天皇の遺墨の大半は50歳代以後のもので、本書は天皇の文化人としての気風が感じられるものとなっています。
うき身には ながむるかひも なかりけり こころにくもる 秋の夜の月
- 江戸時代前期〈酒田市指定文化財〉
色絵葡萄鳥文瓢形水注
(いろえぶどうとりもんひさごなりすいちゅう) - 江戸時代前期色絵鳳凰草花文八角鉢
(いろえほうおうそうかもんはっかくばち) - 江戸時代中期〈酒田市指定文化財〉
伊藤若冲(いとうじゃくちゅう)筆
布袋図(ほていず)
香川黄中賛(かがわこうちゅうさん)
〈酒田市指定文化財〉
色絵葡萄鳥文瓢形水注
肥前国(佐賀県)有田にて柿右衛門様式でつくられた把っ手つきの色絵水注です。17世紀後半頃に海外向けの製品としてつくられましたが、本間家に伝わっていることで、国内での流通を示す貴重な作品です。
色絵鳳凰草花文八角鉢
17世紀後半の肥前有田の柿右衛門窯製と思われる優美な鉢。
濁手と呼ばれる乳白色の素地に、鳳凰文や牡丹文が映えています。
酒田市指定文化財 江戸時代中期
伊藤若冲筆 布袋図
若冲は、水と墨を巧みに操った技巧の妙味といえる水墨画を得意とし、本図も禅的な機知性と温かいユーモアを備えた独自の水墨略画体によって描かれています。張りのある美しい曲線で描かれた布袋は、大きな袋を下ろし、三日月型の目・下がった眉・眉間のシワなど、やや悩ましい表情を浮かべています。
- 江戸時代中期〈山形県指定文化財〉
蕪村自筆句稿貼交屏風
(ぶそんじひつくこうはりまぜびょうぶ)
呉春画(ごしゅんが) - 江戸時代中期〈酒田市指定文化財〉
小原慶山(おはらけいざん)筆
異人形容図巻(いじんけいようずかん) - 江戸時代中期〈山形県指定文化財〉
円山応挙(まるやまおうきょ)筆
鼬図(いたちず)
山形県指定文化財 江戸時代中期
蕪村自筆句稿貼交屏風
本屏風は俳人で画家の与謝蕪村没後、遺女・くのの婚嫁の資金に充てようと、呉春を中心とする門人が証明を加え『自筆句帳』を分割・頒布した「嫁入り手」と呼ばれる作品です。
六曲一双で、右隻には春夏、左隻には秋冬と、四季の順に句が貼り交ぜられています。
『自筆句帳』とは、「発句はださずともあれ」と生前は自らの句集を作ることのなかった蕪村が、天明に入ってから発句集刊行の意図のもとに書き留めていた句帳です。
酒田市指定文化財 江戸時代中期
小原慶山筆 異人形容図巻
崎港に来航した異人の風俗を描いた図は、江戸初期から数多く制作されました。その中でも、本図は非常に丁寧に描かれ、慶山の画力がいかんなく発揮された秀品の一つといえます。巻末にある書家・佐々木文山の跋文から、長崎奉行の石河土佐守と日下部丹波守に、異国人の形容の写生図を描き台覧に備えよとの幕府の命が下り、慶山に古い異人写生図から模写をさせ、それを一巻にまとめたとわかります。享保三年(1718)三月十九日に幕府に献上されました。
山形県指定文化財 江戸時代中期
円山応挙筆 鼬図
画面いっぱいに大きく鼬の側面図と、さまざまな角度から写した五図が描かれています。輪郭線を用いず、細筆による毛描きのみで鼬を表現。体毛の柔らかさ、体のしなやかさをよく捉えており、応挙の卓越した描写力を伝えています。無駄のない仕上がりから、写生をもとに清書した作品と考えられます。落款はありませんが、「鼬」の墨書が応挙の自筆と認められています。
雑画巻 曾我蕭白筆
曾我蕭白(1730~81)は江戸時代中期の画家で、人物画の奇怪な表現、強烈な色彩感覚、常人離れした逸話も相まって、個性的な画家の代表とされています。ニ巻からなるこの画巻には、蕭白らしい奔放な筆で、ユーモア溢れる様々な絵が描かれています。
祇園茶店之図 池大雅筆
池大雅(1723~76)は、江戸時代中期に与謝蕪村とともに日本の文人画(南画)を大成した画家です。中国・西洋・日本の絵画技法を研究するとともに、実際の景色からも学び、のびやかな空間表現を特徴としています。
本作は、祇園から東山の春景色を広く見渡すようにとらえた、大雅の特徴ある空間表現が見どころです。
木彫芭蕉像
- 江戸時代後期〈酒田市指定文化財〉
岸駒(がんく)筆猛虎図(もうこず) - 江戸時代後期〈酒田市指定文化財〉
安田雷洲(やすだらいしゅう)筆
赤穂義士報讐図(あこうぎしほうしゅうず) - 江戸時代中期〈酒田市指定文化財〉
長沢芦雪(ながさわろせつ)筆四睡図(しすいず)
酒田市指定文化財 江戸時代後期
岸駒 筆猛虎図
岸駒は、古来より「岸駒といえば虎」と言われるほど「虎描き」として有名でした。ひたすら本物の虎に迫ろうとする一心で追求し、虎の皮、頭蓋骨、更に四本の足を手に入れ、虎の形状や細部の大きさ、長さを研究しています。本図も、体表の模様、体躯の起伏など、実際の虎を思わせるようなリアリティが大画面に押し出されています。
酒田市指定文化財 江戸時代後期
安田雷洲筆 赤穂義士報讐図
雪の降り静まった十二月十四日、赤穂浪士が吉良邸に討ち入り、吉良の首級をあげて、亡君の無念をはらしたという「忠臣蔵」の一場面を描いています。洋風の陰影法や銅版画にならった描写が劇的で、背後の大きな月が不気味さを増しています。本図は『新約聖書』第三巻「羊飼いの礼拝」が原画であることが分かっています。
酒田市指定文化財 江戸時代中期
長沢芦雪 筆四睡図
虎と豊干、寒山と拾得が寝ている姿を描います。禅の境地を絵画化したもので、一匹と三人が寝ていることから四睡図と呼ばれます。本図は、禅の精神性よりもそれぞれの表情が際立っており、虎の横顔はいかにも心地よさげで、猛々しさは一切感じられません。
- 江戸時代中期〈酒田市指定文化財〉
司馬江漢(しばこうかん)
銅版風景図(どうはんふうけいず)(7点) - 江戸時代後期〈酒田市指定文化財〉
本間北曜(ほんまほくよう)筆
アメリカ船図(せんず) - 江戸時代末期~明治時代狩野芳崖(かのうほうがい)筆
龍虎之図(りゅうこのず)
酒田市指定文化財 江戸時代中期
司馬江漢 銅版風景図
本図は、手彩色を施した腐蝕銅版画です。遠近法を用いた構図は覗眼鏡によって立体感を感取する表現となっています。平賀源内や大槻玄沢との交流から西洋画に目覚めた江漢は、天明三年(1783)日本初の腐蝕銅版画に成功しています。
酒田市指定文化財 江戸時代後期
本間北曜筆 アメリカ船図
ペリー艦隊を描いた絵画や刷物の多くは横浜再航時のもので、本図は、第一回浦賀来航時にペリー艦隊を実際に見て描かれた絵画として、現存する唯一のものと思われます。出羽酒田出身の本間北曜が嘉永六年六月五日に浦賀港の灯明堂からペリー艦隊を写生し、江戸に帰った後に清書した画です。葛飾北斎の門人であった北曜らしい、緻密で美しい描写も見どころです。
江戸時代末期~明治時代
狩野芳崖筆 龍虎之図
狩野芳崖は、長く幕府の庇護にあった狩野派のなかで幕末を迎えました。明治維新にともない狩野派は地位を失い、欧米化の影響で油彩画が注目されるなど苦しい時期が続きます。そんな中、芳崖・橋本雅邦らは、日本画壇の指導者として画家たちを支援していたフェノロサに見出され、西洋画法を習得し、新時代の絵画を模索しました。
明治時代
竹内栖鳳 筆富士図
本屏風は、棲鳳号の時代(18~38歳)に描かれた作品です。六曲一双の大画面に、刷毛で山肌を一気に描き上げる大胆な筆法は、気迫に満ち富士の雄大な姿を見事に表現しています。
婦人像(習作) 黒田清輝
黒田清輝(1866~1924)は、明治から大正にかけて、日本の近代洋画の発展に尽力した洋画家。本作は、黒田が画家を志しフランスでアカデミックな絵画修学し、官製展覧会であるサロンに初入選した頃のデッサンです。
ボルサリーノの女 棟方志功(木版・手彩色)
棟方志功(1903~1975)は、日本を代表する木版画家。昭和31年(1956)のヴェネツィア・ビエンナーレで日本人初の版画部門最高賞を受賞。本間美術館で展覧会を6度開催。
昭和期
瑛九 リトグラフ作品(149点)
瑛九は、昭和二十六年(1951)には公募展という枠の打破を主張する自由な芸術家団体「デモクラート美術家協会」を創設。詩的な版画制作に集中し、版画芸術の地位向上に尽力しました。久保貞次郎・北川民次らと創造美育協会を設立し、児童美術の改革にも奔走。多面的な才能が開花し、戦後の日本美術史に大きな影響を与えています。当館では瑛九の全リトグラフ作品152点のうち149点を所蔵しています。