Homma Museum of Art芸術・自然・歴史の融合/公益財団法人 本間美術館
コラム
若き激情の画家 小野幸吉 #2
学芸員:阿部 誠司
酒田を代表する表現者、画家・小野幸吉。
20歳10ヶ月で夭折するまでに約50点の作品を描きました。
そのどれもが今もまだ生々しく、観る者の心を激しく揺さぶります。
開催中の企画展「若き激情の画家 小野幸吉」では40点の作品を展示しています。
このコラムは、展示作品を紹介しながら小野幸吉についてお話する第2回目です。
上京
大正14年(1925)の春、16歳の幸吉は、酒田中学校(現・県立酒田東高等学校)を中退します。
退学した小野は絵を描くことだけに集中する日々を過ごしていました。
それまで共に絵を描いていた友人には「絵をやるなら僕のようにすっぱりと学校なんて辞めた方がよい。
若いうちにやらなきゃ駄目だからな!」と話をしていたそうです。
一方で、よき理解者であった担任の井口先生の助けを失った幸吉は、
世間から狂人と見られることもあったようです。
苛立ちも積もり、非常識な態度をとることも多くなりました。
そして、この年の秋、ついに幸吉は画家になるために上京します。
父に反対されていたため、半ば家を出るような決意の上京だったと言えます。
病を抱えた幸吉の上京を助けたのが母でした。
幸吉が東京で絵の勉強をし制作をつづけられたのは、母の仕送りがあったからだと言われています。
幸吉は、東京で太平洋研究所で学びました。
研究所では堀田清治(のちに洋画壇を代表する画家となる)と知り合い、
共に高間惣七や上野山清貢など、当時第一線の洋画家たちから指導を受けました。
≪ダリア≫ 昭和2年(1927)18歳 館蔵 ≪背広の自画像≫ 昭和2年(1927)18歳 個人蔵
しばらくして帰郷した小野は、東京で描いた絵を見せては「田舎ではよい絵はできない」と言い、
友人にも上京を勧めています。
転換期
おそらく昭和2年(1927)の事だと言われています。
帰省した小野は夜中、友人が不在だった為その弟を連れて、刈り入れの済んだ田んぼに来ました。
そこで突然、約20点の作品を燃やします。
無表情に炎を見つめて小野は「暖かいなあ!」と言い、
それから何事もなかったかのように明るく話をしていたそうです。
小野が過去の作品を燃やした行為の真意は分かりませんが、
彼の中で何か一つの転換期にあったのではないでしょうか。
この時、燃やす直前に友人の弟がもらった作品が、小野が15歳で描いた≪妙法寺山門≫です。
昭和2年(1927)18歳の幸吉は、様々な人たちに出会い、多くの作品、ものを観て吸収しています。
6月から7月にかけて、堀田清治と八丈島をスケッチ旅行し、10月には関西を旅するなど、
その足跡を分かるだけ辿っても、いかに精力的だったかが伺えます。
≪大島風景≫ 昭和2年(1927)18歳 個人蔵 ≪婦人像≫ 昭和2年(1927)18歳 個人蔵
≪風景≫ 昭和2年(1927)18歳 個人蔵 ≪欅のある風景≫ 昭和2年(1927)18歳 個人蔵
≪温海風景≫ 昭和2年(1927)18歳 個人蔵 ≪柵のある風景(A)≫ 昭和2年(1927)18歳 個人蔵
特に風景画に力を入れていたようで、
それまでの6号や8号といった小さめの作品から、20号や30号といった大画面にも挑戦しています。
一見すると、荒々しいタッチから即興的に一気に描き上げたように思われますが、
うねうね、ぐりぐりと言った生々しさが、対象に執拗に迫る幸吉の視線が感じられます。
また、この頃から鮮やかな赤い色彩が効果的に使われるようになります。
これは最後まで見られる傾向で、よく鼻血をだしていた幸吉の病や夭折したことを考えると、
血の色、生と死の両方を暗示させるようでなりません。
これは絵画だけではなく、幸吉の詩にも「赤」という言葉を多く使いました。
最後に『イチゴ』という幸吉の詩を紹介します。
櫻實にイチゴは食べきれない程だ。
この真赤な色彩は。
黒染む程の強烈な色だ。
この色彩を腹に積め込まふ。
食欲の快楽である。
それから 俺の体は色彩の豊満にかがやくのである。
つづく…
2017.01.22
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