Homma Museum of Art芸術・自然・歴史の融合/公益財団法人 本間美術館
コラム
近世初期の書画の名手・小野通女
学芸員:須藤 崇
近世初期(16世紀後半-17世紀初頭)に、小野通女(1567・68-1631)という書画に優れた女性がいたことをご存知でしょうか?小野お通とも呼ばれ、公家や武家、寺家といった権力者や、真田信繁(幸村)の兄・信之と交流があったことが知られている人物です。のちに娘の圓子が信之の子で松代藩二代藩主・信政の側室となり、その子・信就は真田勘解由家の祖となっています。
通女の詳細は不明ですが、武士であった小野正秀の娘として美濃国(岐阜県)に生まれ、和歌を公家の九条稙通(1507-1594)に学び、絵は狩野派の狩野光信を踏襲しているとされています。また、豊臣家周辺に仕えたとされ、慶長3年(1598)の豊臣秀吉主催の「醍醐の花見」にも参加しています。
通女の代表的な作品には、公家の近衛信尹(1565-1614)が描いた作品と類似する《柿本人麿自画賛》(センチュリー文化財団蔵)や、通女が描いたと伝わる《豊臣秀吉像》(金戒光明寺蔵)と《徳川家康像》(大養寺蔵)などが挙げられます。職業絵師ではなかった通女でしたが、絵画作品が多く残されているのは、公家や武家、寺家との交流があったためと考えられています。
その通女が描いた作品である《霊昭女図》(当館蔵)と《天神画賛》(個人蔵)をみてみましょう。
《霊昭女図》 桃山—江戸時代前期 酒田市指定文化財
本図は、着物に塗られた白緑(びゃくろく)という岩絵の具と、着物の袖や襟に塗られた鮮やかな赤色、そして太く強い描線によって霊昭女の艶やかな美しさをあらわした作品です。霊昭女は、中国唐時代の伝説的な人物で、年老いた父母を養うため街に出て篭を売る孝行な逸話などから、禅の世界では尊像として扱われていました。画面上部には、叔父で大徳寺第一四七世の玉室宗珀と伝えられる賛があります。禅の教えの一つであろう、飢えたら食べ、疲れたら眠るといった内容が書かれています。
《天神画賛》 桃山—江戸時代前期 酒田市指定文化財
通女は天神像をよく描いたといわれていますが、この天神像は「文字絵天神像」と呼ばれているものです。冠が「天」、衣の上部が「じ」、下部が「ん」となっており、それに目鼻をつけて、天神の姿をあらわしています。図上にはのびやかな文字で菅原道真作の和歌「心だに まことの道に かなひなば いのらずとても 神やまもらむ」が書かれた賛があり、この賛にあるような書風は「お通流」と呼ばれています。
通女が描いた文字絵には、本図と酷似する《波唐天神自画賛》(センチュリー文化財団蔵)のほか、柿本人麿を描いた作品などが残されており、複数描いていたものだと思われます。
今回ご紹介した作品2点は、現在当館で開催中の企画展「女流作家の美」に出品していますので、この機会にぜひご覧ください。
2016.11.21
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