公益財団法人 本間美術館は、「公益」の精神を今に伝え、近世の古美術から現代美術、別荘「清遠閣」の緻密な木造建築の美、「鶴舞園」、さらには北前船の残した湊町酒田の歴史まで楽しめる芸術・自然・歴史の融合した別天地。

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Homma Museum of Art芸術・自然・歴史の融合/公益財団法人 本間美術館

コラム

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戦国武将と大名家ゆかりの美術工芸品 4/5 ー企画展「武家の美術」よりー

学芸員:須藤 崇

企画展「武家の美術」では、戦国武将や大名家にゆかりのある絵画・書・工芸品と重要文化財『市河文書』を含めた全51点を、全10章に分けて展示しています。

このコラムでは、全5回にわたって章ごとの代表的な作品をいくつかご紹介していきます。

 

第8章「徳川家ゆかりの名品 ―徳川将軍家・水戸徳川家・田安徳川家―」

徳川家康を始祖とする徳川将軍家は、幕末の大政奉還に至るまで十五代にわたって存続しますが、後継者が不在の場合に備えて、御三家の尾張・紀州・水戸の三家と、御三卿の田安・一橋・清水の三家を興し、後継者を提供できるような体制を確立していました。

その徳川家ゆかりの名品には、書では将軍家の家康と秀忠、水戸徳川家の光圀と斉昭の手紙や漢詩、工芸品では庄内藩主酒井家に輿入れした田安徳川家の姫君の婚礼調度(嫁入り道具)があります。

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《徳川光圀書状 恵明宛》(年月未詳)5日

水戸藩二代藩主・徳川光圀が願入寺(茨城県)の住持・如晴(恵明院瑛兼)に宛てた手紙。「光圀」の署名があります。疱瘡を患った孫娘(おはつ娘)を見舞う内容で、追伸では張り子人形を差し上げると書かれています。

徳川光圀は、徳川家康の孫で、水戸黄門として知られている人物。はじめ「光国」を称していましたが、延宝7年(1679)頃に「光圀」と改めましたので、年次はそれ以降となり、隠居所「西山荘」にいた頃のものと考えられます。

 

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葵紋散牡丹唐草蒔絵膳椀類 江戸時代後期

この膳椀類は、御三卿のひとつである田安徳川家の婚礼調度のひとつとみられ、安永2年(1773)11月に酒井家九代当主・酒井忠徳に興入れされた脩姫(田安徳川家初代宗武の養女)か、文政12年(1829)6月に十一代当主・酒井忠発に嫁いだ鐐姫(田安徳川家三代斉匡の娘)のものと考えられます。

 

第9章「仙台藩主伊達家ゆかりの書 ―政宗の朱印と忠宗の黒印―」

仙台藩主伊達家は、独眼竜として知られる戦国武将・伊達政宗を初代藩主とします。慶長6年(1601)4月、政宗は岩出山(宮城県大崎市)から仙台の地に移り、その礎を築きます。政宗没後、守成の名君として、政宗が築いた仙台の地を発展させたのが、二代藩主となった伊達忠宗です。

政宗が使用した朱印「桐威伝」と忠宗の黒印「藤原忠宗」は、現代でも通じるような興味深いデザインとなっています。

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政宗の朱印「桐威伝」 ※《伊達政宗朱印条書》 酒田市指定文化財「奥羽古文書」より

武威を示したものなのでしょうか。この朱印は、天正16年(1588)頃から文禄年間(1592~1596)にかけて使用していたとされています

 

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忠宗の黒印「藤原忠宗」 ※《伊達忠宗知行宛行黒印状》(個人蔵)より

黒印の中央に「藤原忠宗」とあります。これは、伊達氏が元々は藤原氏を称していたことから、藤原の姓を用いたと思われます。また、黒印には伊達家の家紋「三引両紋」と「九曜紋」も入っており、洒落たデザインとなっています。

2016.09.26