公益財団法人 本間美術館は、「公益」の精神を今に伝え、近世の古美術から現代美術、別荘「清遠閣」の緻密な木造建築の美、「鶴舞園」、さらには北前船の残した湊町酒田の歴史まで楽しめる芸術・自然・歴史の融合した別天地。

公益財団法人 本間美術館

Homma Museum of Art芸術・自然・歴史の融合/公益財団法人 本間美術館

コラム

公益財団法人 本間美術館 [山形県 酒田市] > コラム

酒田に残る唯一の芭蕉の遺墨

学芸員:阿部 誠司

本間美術館では、芭蕉が酒田に滞在した期間(7月29日~30日、8月3日~9日)にあわせ、
当館所蔵で酒田に唯一残された遺墨≪玉志亭唱和懐紙≫(山形県指定文化財)を清遠閣にて特別公開しています。

 

この≪玉志亭唱和懐紙≫とは、

元禄二年(1689)旧暦の6月、芭蕉らは三山巡礼や象潟(きさかた)への行脚も済み、近江屋三郎兵衛(俳号・玉志(ぎょくし)宅に招かれた折に、芭蕉と曾良(そら)、町医者の伊東不玉(いとうふぎょく)亭主の玉志の四人で、瓜のもてなしの遊びに興じた即興の発句を残したものです。

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 あふみや玉志亭にして、納涼の佳興に瓜をもてなして、
 発句をこふ句(て曰)なきものは喰事あたはじと戯けれバ

初真桑(はつまくわ)四にや断ン輪に切ン  ばせを

初瓜に(や)かぶり廻しをおもひ出ヅ    ソ良

三人の中に翁や初真桑          不玉

興にめでゝこゝろもとなし瓜の味     玉志  

 元禄二年 晩夏末

 

と書かれています。
芭蕉は、美味しそうな初ものの真桑瓜を、縦に四つに切ろうか輪切りにしようか…と詠んでいます。
簡単な句のように感じられますが、技巧をこらさないこの「軽み」こそが芭蕉の真骨頂と言えます。

また、芭蕉自筆の文字にも注目して観て下さい。
楽しげな席で書かれたものだけあって、普段の書風より柔らかく感じられます。
芭蕉は奥の細道の中で酒田に最も長く滞在しており、旅の疲れを癒しながら風流を楽しんだことと思われます。
そんな芭蕉の心情、様子が、この懐紙からも伝わってきますね。

 

 

さて、ちょっと美術館から離れ、酒田における芭蕉ゆかりの場所もご紹介します。

鶴岡から船で酒田へ来た芭蕉は、酒田港で初めて日本海を目にしました。
降り立った場所など足跡はハッキリと分かっておらず、諸説あります。

現在の日和山公園下の船着き場で降りたと想定し、歩いてみましょう。

日和山公園の港側には、芭蕉が登ったとされる坂が今でも「芭蕉坂」として見ることができます。(登れます)
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芭蕉坂を登ると、皇大神社という、船頭たちが航海の無事を願った立派な神社があります。
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その脇をさらに登れば、高さ約3mの常夜灯がある、日本海を望む広場に出ます。
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この常夜灯は、文化十年(1813)に建立され、今でも夜には明かりが灯る日和山のシンボルです。

公園内では芭蕉像や句碑を見ることができます。

 

 

≪玉志亭唱和懐紙≫は8月9日までの公開です。
作品をより深く味わうためにも、芭蕉ゆかりの日和山を散策してみてはいかがでしょうか。

 

2016.08.05