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コラム

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伊達政宗と千利休、2人の初めての対面を示す手紙

学芸員:須藤 崇

桃山時代に侘茶を大成し、のちに日本独自の文化となった「茶の湯」の礎を築いた千利休(1522~91)。織田信長(1534~82)や豊臣秀吉(1537~98)といった時の権力者に重用され、多くの武将や文化人と交流を持った人物として知られています。

その利休が書いた自筆の手紙の中で、伊達政宗との対面を示す内容が書かれた手紙があります。

この手紙は、秀吉の命で上洛した伊達政宗(1567~1636)を京都の白河まで迎えに出ようとした利休が弟子の古田織部(1544~1615)に宛てたもので、夜には戻ることを伝えています。日付は4日としか書かれておらず、年月は未詳ですが、政宗が初めて上洛を果たした天正19年(1591)2月4日と考えられています。

消息 千利休筆 個人蔵

 

天正18年6月5日、秀吉から上洛をうながされていた政宗は、小田原の北条氏の本拠・小田原城を包囲中の秀吉のもとへ参陣し、9日に秀吉との対面を果たしました。その折、政宗は利休から茶の湯の手ほどきを受けたいと申し入れたようですが、利休の体調がすぐれず実現することはなかったようです。その後、政宗は、会津から米沢に移り、秀吉による奥羽仕置を不服として勃発した「葛西・大崎一揆」の鎮圧にあたっていました。この一揆鎮圧における過程でおこった嫌疑に対する申し開きのため、翌天正19年1月13日に、米沢から京都へ向かい、27日は尾張国清洲(愛知県清須市)で秀吉と謁見、そして2月4日に京都に到着し、宿泊所の妙覚寺に入りました。

そのため、この手紙の日付である4日は、政宗と利休の2人が初めて対面を果たした日であったと考えられています。出迎えに来た利休を見て政宗は何を思ったのでしょうか。ついに利休との対面を果たした政宗でしたが、秀吉との関係が悪化していた利休は、13日に堺での蟄居を命ぜられ、28日に自刃してしまったため、利休から直接茶の湯の手ほどきを受けたいという政宗の願いは叶えることができなかったようです。

この千利休の手紙は、現在開催中の企画展「絵画と書でみる墨の世界」にて公開しています。ぜひ利休や政宗に想いを馳せながら直にご覧いただければと思います。

 

 

 

主な参考文献

・『仙台市史 資料編10 伊達政宗文書1』(仙台市史編さん委員会、1994年)

・『書に見る伊達政宗』(仙台市博物館、1995年)

・『伊達政宗-生誕450年記念』(仙台市博物館、2017年)

2020.10.21