Homma Museum of Art芸術・自然・歴史の融合/公益財団法人 本間美術館
コラム
三人の奇想の画家 若冲・蕭白・芦雪
学芸員:須藤 崇
円山応挙が登場した十八世紀後半の京都で、ひときわ異彩を放ち、個性を打ち出した作品を描いた三人の画家がいます。その個性的な表現力で、京都に旋風を巻き起こした伊藤若冲と曾我蕭白。そして、円山応挙の弟子でありながら、師とは異なる絵画世界を生み出した長沢芦雪です。
現在開催中の企画展「円山応挙と京都画壇」の展示作品を通して、三人の画家についてご紹介します。
■伊藤若冲 享保元年(1716)~寛政十二年(1800) 享年85歳
京都錦小路の青物問屋「桝屋」の長男で、名は汝釣、号は米斗翁、斗米庵など。四十歳で弟に家督を譲り、画業に専念します。《動植綵絵》(宮内庁三の丸尚蔵館蔵)のような鮮やかな色彩の着色画のほか、水墨画も数多く描き残し、特に鶏を描くことを得意としました。
画像①は、その若冲が描いた《鶏図》です。細かな羽毛の描写には「筋目描き」の技法を用いており、若冲水墨画の真骨頂を示しています。軽妙な筆遣いが素晴らしく、生命感あふれる鶏の存在を感じさせてくれます。
本図のように、若冲の多くの水墨画には「筋目描き」という技法が用いられています。「筋目描き」は、画箋紙というにじみやすい紙に、淡墨と濃墨を使い分けて描くと、画像②の鶏の羽毛にみられる輪郭線のような筋ができる技法です。
■曾我蕭白 享保十五年(1730)~天明元年(1781) 享年52歳
京都の商家に生まれたといわれ、名は暉雄、号は蛇足軒など。室町時代に水墨画で活躍した曾我派の末裔と自称し、蛇足十世を名乗りました。作品には、濃彩の着色画もみられますが、その多くが水墨画です。人物画の奇矯な表現、強烈な色彩感覚などに、蕭白の個性を感じとることができます。
画像③:曾我蕭白筆《東方朔・西王母図》(部分)個人蔵
画像③は、江戸時代に、人気の高かった東方朔・西王母という中国の仙人を描いた作品です。扇を持つのが西王母で、その背後には、不老不死の効き目があるという桃の実をつける木があります。枝についた桃の実を持つのが東方朔で、その足下には雲があり、桃の実を盗んで逃げ去る場面を描いたところだと思われます。
画像④は、風景・人物・動植物などが描かれた《雑画巻》のカエルとタコが相撲している場面です。まるで鳥獣戯画のように、カエルやタコが擬人化されており、ユーモアと可愛らしさに満ちています。蕭白の意外な一面をみせる魅力的な作品です。
■長沢芦雪 宝暦四年(1754)~寛政十一年(1799) 享年46歳
丹波国(京都)の篠山藩士・上杉彦右衛門藩(後に淀藩に仕える)の子。姓は上杉から「長沢」に改め、名は政勝、魚。円山応挙に入門し、応挙の代理として南紀(和歌山県)の無量寺や草堂寺などの障壁画を制作。その自由奔放な筆致を駆使してみせる表現力や発想力は、応挙門下の中でもひときわ個性的で異彩を放っています。また、芦雪は応挙から破門されたともいわれ、その死にも毒殺や自殺などの説があって、いまだ謎多き画家でもあります。
画像⑤は、芦雪が寛政年間(1789~1799)後期頃に描いた《四睡図》です。「四睡図」とは、一匹の虎と豊干禅師、弟子の寒山と拾得の三人が眠っている姿を描いたものです。特に、心地よさそうに寝ている虎の寝顔は芦雪ならではの描写です。捺されている「魚」(朱文氷形印、右上欠損)の印章は、芦雪の代表的な印章でもあります。
ぜひ本間美術館で若冲・蕭白・芦雪の実物をご覧いただければと思います。
2016.04.21
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