Homma Museum of Art芸術・自然・歴史の融合/公益財団法人 本間美術館
コラム
庄内押絵について
学芸員:阿部 誠司
開催中の展覧会「雛祭古典人形展」の美術展覧会場1階壁面に、≪庄内押絵≫とキャプションのついた押絵があります。
この庄内押絵は江戸時代後期から幕末のもので、本間美術館では毎年「古典人形展」の折に展示してきました。
一般に京都御所など上流階級の女子の遊びとして始まったと言われる押絵は、江戸中期以降は庶民にもその遊びが広がり、羽子板などの販売目的の押絵細工も存在します。
庄内押絵は、こうした押絵細工とはちょっと違う性格のものでした。
押絵の文化自体は、当時出版されていた押絵の教科書が参勤交代で江戸からもたらされたことや、北前船の交易による上方文物の流入が大きく影響していると思われます。
しかし、庄内では女子の遊び・裁縫の嗜みというよりは、中級以上の武士や上層農民、町屋の旦那衆が中心となって盛り上がっていいました。
当時流行した浮世絵版画などを基にしながら、各々が趣向を凝らしてつくり、作品を自慢しあって楽しんだと思われています。
次の2点はモデルとなった浮世絵版画(錦絵)が分かっているものです。
柳亭種彦の大ベストセラー『偐紫田舎源氏』を題材にした、三代歌川豊国の≪やさ姿あづまのうつし絵(庭遊び)≫をもとに押絵にしています。(三代豊国は、国貞時代に『偐紫田舎源氏』の挿絵も手掛けています。)
人物が省略されたり、背景の気が紅葉から桜に変わっていたりと変更箇所もありますが、ほぼ錦絵を忠実に再現した見事な出来栄えです。
※≪やさ姿あづまのうつし絵(庭遊び)≫は早稲田大学図書館のデジタルアーカイブをご覧ください。
読みものとしても舞台としても根強い人気を誇る『浄瑠璃姫物語』を題材にした押絵です。
もとになった錦絵は画題は不明ですが、三代歌川豊国の作品です。着物の色合いから屋敷、背景に至るまで忠実に再現されています。
※もとになった三代歌川豊国の作品は、早稲田大学演劇博物館のデジタルアーカイブで「浄瑠璃御前」と検索しご覧ください。
このように錦絵を再現した庄内押絵は、絹や縮緬、金糸を使い、背景を顔料で鮮やかに描き、額のようなつくりをした豪華なものが多く残っています。湊町で栄える庄内を支えた旦那衆は、華やかで緻密で質の高い押絵を持ち寄り、酒を酌み交わしながら楽しいんだのでしょうね。
庄内にはこうした華やかな押絵の他にも下級武士などが副業として押絵を売っていたりと、老若男女、身分の隔てなく浸透していたようです。この押絵文化は明治・大正・昭和と、自然と生活の中で受け継がれてきたそうです。
2016.03.26
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