公益財団法人 本間美術館は、「公益」の精神を今に伝え、近世の古美術から現代美術、別荘「清遠閣」の緻密な木造建築の美、「鶴舞園」、さらには北前船の残した湊町酒田の歴史まで楽しめる芸術・自然・歴史の融合した別天地。

公益財団法人 本間美術館

Homma Museum of Art芸術・自然・歴史の融合/公益財団法人 本間美術館

企画展のみどころ

企画展のみどころ

公益財団法人 本間美術館 [山形県 酒田市] > 展示スケジュール > 【美術展覧会場】庄内の作家たち

庄内の作家たち

  • 会期/2023年6月2日(金)~7月18日(火)
  • 本間美術館・美術展示会場
  1. 主催/公益財団法人 本間美術館
  2. 共催/山形県・(公財)山形県生涯学習文化財団
  3. 後援/酒田市・酒田市教育委員会
  4. 開館時間/午前9時~午後4時30分(入館は午後4時まで)
    1. 入館料/一般/1,100円(990円)
    2. 高・大学生/500円(450円)
    3. 小・中学生/無料
    4. ※( )内は15名以上の団体入館料
    5. 上記入館料で国指定名勝「本間氏別邸庭園(鶴舞園)」「清遠閣」もご覧いただけます。

学芸員のギャラリートーク

◉日時/2023年6月18日(日)/午前11時より

明治時代から現代まで、庄内が誇る日本画家と洋画家の作品展

自然豊かな山形県庄内地方は、明治時代の近代日本画の重鎮・橋本雅邦に学んだ加藤雪窓(1872~1918)をはじめ、橋本関雪や竹内栖鳳らと並び称されたという服部五老(1869/71~1930)、「酒田のゴッホ」とも称された異端の表現者・小野幸吉(1909~1930)、美術団体「白甕社」の会長として力を尽くした地主悌助(1888~1975)など、多くの作家を輩出してきました。
本展では、本間美術館が所蔵・保管する絵画作品から、庄内地方出身や当地で作家活動を行い、郷土の芸術振興に大きく寄与した、明治時代から現代までの庄内が誇る日本画家と洋画家の作品を紹介します。個性と情熱を持って作画活動に取り組んだ作家たちの作品をお楽しみ下さい。

主な作家の略歴

地主 悌助

明治22年(1889)~昭和50年(1975)

現在の山形県鶴岡市上畑町に生まれる。小学校教員から文部小中等教員検定試験図画科に合格。秋田県・山口県で教諭を務める。1925(大正14)年山形県立鶴岡中学校の図画工作教諭となる。美術団体「白甕社」の会長となり、美術振興に尽力する。退職後は神奈川県に転居し制作に専念。東京を中心に個展を開催する。石や紙をモチーフに写実的な静物画を多く描いた。

石井 弥一郎

明治31年(1898)~昭和47年(1972)

現在の山形県飽海郡遊佐町に生まれる。上京し川端画学校で藤島武二に師事する。その後、前田寛治研究所、太平洋画研究所で学び、中川一政、吉田博に師事。1930年代から、1930年協会展や春陽会など幅広く出品を重ね、1937(昭和12)年には個展を開催。戦後は太平洋画会会員として活動し、東京を中心に個展を多数開く。

小野 幸吉

明治42年(1909)~昭和5年(1930)

現在の山形県酒田市に生まれ、幼少期に難病を患う。詩文・画において早熟であり、1924(大正14)年に上京し、太平洋画会研究所、川端画学校で学ぶ。1928(昭和3)年、1930年協会研究所で里見勝蔵・林武の指導を受ける。二科展で入選を果たすも、病気療養のため帰郷。20歳で東京の病院で亡くなるまで制作を続けた。表現主義を追求した情熱的な画風や生き方は多くの画家を驚かせ、没後もいっそう評価を高めた。

斎藤 長三

明治43年(1910)~平成6年(1994)

山形県飽海郡北平田村大字漆曽根(現在の酒田市漆曽根)に生まれる。東京高等工芸学校在学中に、第5回1930年協会展、第1回独立展で入選。卒業後、独立美術研究所で里見勝蔵、福沢一郎などに師事。以後、独立展を中心に活躍し、受賞多数。後進の指導にもあたる。初期にはシュルレアリスム風の作品を描き、戦後は抽象的な風景画を多く描いた。

佐藤 昌祐

大正9年(1920)~平成17年(2005)

山形県酒田市に生まれる。東京美術学校で南薫造と伊原宇三郎に師事。1941(昭和16)年に卒業するも、戦争へ召集。復員後は山形師範学校助教授となる。1951(昭和26)年山形大学教育学部を退職し、東京へ転居。1961(昭和36)年に青騎会を創立し、毎年出品する。個展も多数開催した。

加藤 雪窓

明治5年(1872)~大正7年(1918)

秋田県秋田町(現在の秋田市)に生まれる。旧秋田(久保田)藩士で漢学者の加藤久道の子。本名は久則、通称は達也。祖父とともに秋田を離れ、1882(明治15)年に酒田今町に移住。1896(明治29)年に上京し、当時の日本美術界の重鎮の一人・橋本雅邦に師事。第一回・第八回絵画共進会に出品し、それぞれ三等賞・一等賞を受賞。1899(明治32)年、日本画会創立記念美術展覧会に出品した「釣艇夕照図」「擔薪読書図」が宮内省に買い上げとなり、名声を博した。1908(明治41)年、師の雅邦が亡くなると、東京を離れ酒田に帰り、禅的な作品を数多く手がけた。

菅原 梅里

明治7年(1874)~昭和27年(1952)

田川郡木川村(のちの東田川郡新堀村、現在の酒田市)の旧家・菅原市朗右衛門の子。本名は平助。はじめ鉄道員を勤めたが、画業を志して米沢出身の画家・下條桂谷に師事。南画・北画の両派を習得し、南北合派と称される画風で多くの水墨画を描き、山水画や仏画を得意とした。主に日本美術協会展に出品を重ね、晩年は酒田で活動した。

川村 智保

明治29年(1896)~平成5年(1993)

鶴岡町泉町(現在の鶴岡市泉町)に生まれる。染物業を営む川村由次郎の長男。本名は善太郎。号は華雪、雅秋。1918(大正7)年、山形県立荘内中学校(現在の鶴岡南高等学校)を卒業、在学中に小貫博堂の指導を受ける。同8年、東京美術学校(現在の東京藝術大学)日本画科に入学、結城素明に師事。在学中に第八回・九回絵画展覧会に出品、女性をモチーフとした作品を多く描き、1924(大正13)年に同校を卒業。一時期、結城素明主宰の東台邦画会に所属。卒業後、東京で図画教師をつとめる。1933(昭和8年)の第二十回教育絵画展覧会に出品。翌年、鶴岡に帰郷し、中学校、高等学校で美術教師をつとめながら絵画の制作を続けた。

服部 五老

明治2年(1869)~昭和5年(1930)

鶴岡に生まれる。旧庄内藩士・服部大策の子。本名は文(又)太郎、安之。従兄弟に松平穆堂、子に南画家の服部二柳。幼少の頃より絵を好み、京都に出て南画の大家であった田能村直入に師事し、その画才を認められ高弟となる。日本美術協会展や文部省美術展覧会(文展)、日本南画院展に出品。のちに日本南画院の同人となり、文展で三回の入選を果たし、京都画壇では橋本関雪や竹内栖鳳らと並び称されたという。水墨画を得意とし、高く評価されたが、晩年は私生活が乱れ財を失った。

石川 静正

嘉永1年(1848)~大正14年(1925)

庄内藩士・石川猪太夫の長男。画家・石川正庸(号は淡水)の兄。号は淡遷、淡仙、淡雲。幼少時より書画を学ぶ。1872(明治5)年、松ヶ岡(現在の鶴岡市羽黒町)開墾事業に従事。1875(明治8)年に旧庄内藩士らとともに鹿児島へ赴き、西郷隆盛(号は南洲)の教えを受ける。のちに酒田の本間家から招かれ家塾の教師をつとめる。1890(明治23)年、三矢藤太郎らと編纂した『南洲翁遺訓』を携えて全国各地を巡遊。郷土画家として、西郷隆盛の肖像画(油彩)をはじめ、鶴ヶ岡城(油彩)、南洲竹邨邸図(日本画)など多くの作品を描いた。著書に『薩摩紀行』がある。

小野 幸吉初公開作品

  • 小野幸吉《レンガ工場》 1928(昭和3)年 個人蔵(当館寄託)小野幸吉《レンガ工場》 
    1928(昭和3)年 
    個人蔵(当館寄託)
  • 小野幸吉《風景》 1928(昭和3)年 個人蔵(当館寄託)小野幸吉《風景》 
    1928(昭和3)年 
    個人蔵(当館寄託)
  • 加藤雪窓《夕景図》 制作年不詳加藤雪窓《夕景図》 
    制作年不詳
  • 斎藤長三《最上川と水田》 1974(昭和49)年斎藤長三《最上川と水田》 
    1974(昭和49)年
  • 石井弥一郎《真鶴の梅林》 1969(昭和44)年石井弥一郎《真鶴の梅林》 
    1969(昭和44)年
  • 佐藤昌祐《まぐろ》 1964(昭和39)年佐藤昌祐《まぐろ》 
    1964(昭和39)年
  • 服部五老《山水図》1909(明治42)年服部五老《山水図》
    1909(明治42)年
  • 菅原梅里《岩上虎図》1938(昭和13)年菅原梅里《岩上虎図》
    1938(昭和13)年
  • 石川静正《南洲竹邨邸図》1915(大正4)年石川静正《南洲竹邨邸図》
    1915(大正4)年
  • 地主悌助《紙》1957(昭和32)年地主悌助《紙》
    1957(昭和32)年
  • 川村智保《かんざしを持つ女》1921(大正10)年川村智保《かんざしを持つ女》
    1921(大正10)年